デザイナー受難時代と不寛容社会(2)


組み合わせの時代

 近年、プロダクトの分野で重要な地位を占めるようになったのがデザイン。モノの売れ行きを左右するのは性能でも機能でもなくデザイン、というのが言い過ぎなら、デザインがダサいものは売れない、といえば納得するだろうか。現在では、それほどデザインが重要な役割を果たしてきている。
 それはなにも工業デザインの分野だけに留まらない。むしろ、それより以前に広告・宣伝等のグラフィックス分野でより顕著だった。ことほど左様にデザインの地位が高まり、巷にデザインが溢れてくると、「これ、どこかで目にしたような気がする」という既視感めいたものを覚えてくる。デザインを見る側にも制作する側にも。
 それがイメージとして残り、それに触発され、あるいは新しいもの、別のものを付加して新たなデザインを作りあげていく。
 誤解を恐れずに言えば、創作活動は模倣から始まると言ってもいいだろう。それが模倣の段階で終わるのか、それを超えたものになるのかで一流と二流、三流の評価に分かれる。

 ところが社会のスピードアップと、インターネットの普及が、デザイン制作の在り方まで変えてしまった。
 この点に関して佐野研二郎氏は興味深いことを述べている。
「今はそういう技(丁寧できれいで正確な作図をする)よりも何と何を組み合わせるかだ」
 言い得て妙である。いや、今回のエンブレム問題に絡めて彼の発言を皮肉っているのではない。もし、今回の問題がなければ、この言葉は多くの分野で評価され、また支持されたことだろう。
 時代の要請は組み合わせ、ヒット商品の続編、二番煎じである。時間をかけて一から作り上げるより、すでにヒットした実績がある作品の続編を作ったり、目先を少し変えた商品を作る方がリスクが少ない。だから制作プロダクションも広告会社もスポンサーも、冒険するより一定の基礎数字が読めるものを作りたがる。しかも速く。

 制作側がこうした要望に応える手っ取り早い方法は「組み合わせ」しかない。いやいや、それが悪いと言っているのではない。組み合わせも技術だ。組み合わせた結果は掛け算と言わないまでも、引き算ではなくせめて足し算にならなければならない。

 組み合わせが上手なプロデューサーを時代が要請している。いやいや、またまた皮肉っているのではない。大真面目にそう考えている。人と人、作品と作品、映像と音楽等々をいかに組み合わせるかで、出来上がったものが10にも100にもなる。
 問題は相乗効果が出る組み合わせができるかどうかということで、そこが模倣と創造の違いになる。
 佐野氏はモノを創り出すデザイナーというよりはアートディレクター、プロデューサーだったのではないだろうか。まあ、デザイナーと称していた人もある年齢からはほとんどアートディレクター、プロデューサーと肩書を変え、自らはディレクションに徹しているから、なにも佐野氏に限ったわけではないが。

ネットの普及で制作も一変

 デザイナーがアートディレクター、プロデューサーと称しようと、手作業中心の仕事をしている時代は今回のような問題は比較的起こりにくかった(発見されにくかった、と言った方がいいか)。
 ところが世はインターネット時代。ネット上には世界中のデザインがあふれている。それらを見て参考にするぐらいならいいが、デジタル時代は簡単にコピペ(Copy & Paste)ができる。そんな時代にわざわざ手書きするなんて非効率なことをする人はいないだろう。とりあえずコピペして、あとで少し手を加えようなどと思っていたものが(好意的に解釈して)、ついそのままになり、通ってしまった。あるいはスタッフがこんな感じでどうでしょうかと、あくまでデザイン案、デザインラフとして提出したものが、時間に追われ、充分に見直す時間もなくそのまま出してしまった、などということは十分ありうる話だ。

 こうしたことはなにも佐野氏に限った話ではなく、実はデザイン業界では日常的に(?)行われていたのではないだろうか。とすれば、今回の佐野氏の件は対岸の火事では済まなくなる。それどころか内心、戦々恐々としている人は多いのではないか。
                                               (3)に続く

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